2025年8月25日、Science 掲載の論説。2025年、米政権は主要貿易相手国に対する広範な関税を発表し、医薬品が次のターゲットとなる可能性が浮上している。しかし、関税のような貿易政策は、サプライチェーン脆弱性を悪化させるリスクがあるとする。米国の関税措置によって引き起こされた緊張は、医薬品サプライチェーンの強靭性を再評価する好機である。孤立主義に陥るのではなく、協調、透明性、的を絞った投資を通じて、システミックなレジリエンスを向上させることに重点を移すべきであるとする。
サプライチェーン脆弱性と非対称性
重要医薬品は低価格で大量に使用される製品であり医療の基盤を支えるが、その供給は地理的に集中した脆弱な国際サプライチェーンに依存している。このため、生産国は意図的・偶発的にかかわらず、輸入国のアクセスに大きな影響力を持つ。また、関税は輸入原料コストを上げ、狭い利益幅で運営するジェネリック企業の経営を圧迫し、供給不足を招く危険がある。償還制度によって価格転嫁の余地が制限されるため、中程度の関税でも生産の持続可能性を損ないうる。特に需要の価格弾力性が低く代替の少ない医薬品では、高関税は実質的に輸入制限として作用し、供給不安を深刻化させる可能性がある。
本稿は、重要医薬品同盟の定義・リスト(288物質)を用い、医療データと貿易データを対応付けて分析している。重要医薬品の多くは特許切れの低分子ジェネリックで、市場価値に比して数量が圧倒的に多いため、生産が少数施設に集中し供給脆弱性が高まっている。
米国は典型例であり、需要の大半を中国・EU・インド・メキシコなどからの輸入に依存している。各国は健康危機時や地政学的対立時に輸出制限を行うことがあり、低価値ジェネリックが強力な報復手段となり得る。輸出国にとっては経済的負担が小さい一方、輸入国には深刻な影響が及ぶ非対称性が存在する。さらに中国依存度の高い原料(抗生物質、ビタミンC、ステロイド、基本医療用品など)では、関税や輸出規制が即座に供給途絶や価格急騰につながる構造的リスクを抱えている。
短期緊急対応
重要医薬品は需要が非弾力的であるため、関税・輸出制限・供給障害による減産は即座に不足につながる。短期的な緩和策としては、既存備蓄を既存流通網に沿って再配分する方法が有効であり、パンデミックや物流混乱時にも活用できる。
米国でのシミュレーションでは、供給70%減少の仮想シナリオにおいて、再配分により不足発生を43%遅延できることが示された。ただし、情報に基づかない再配分は逆効果となる可能性がある。
効果的な再配分には在庫・流通網のリアルタイム可視化が不可欠だが、規制の分断やデータ共有の抵抗が障害となっている。再配分は不足を根本解消しないが、配給やトリアージと併用することで危機対応の時間を稼ぎ、長期的レジリエンス強化への移行を可能にする。
長期的なレジリエンス計画
米国は重要医薬品を輸入に大きく依存しており、この構造は世界的に共通する。生産は中国・インド・欧州など少数地域に集中しており、全面的な国内回帰(リショアリング)はコストや技術面から非現実的である。選択的リショアリングや戦略的備蓄・二重調達での補完が現実的だが、対象医薬品の選定には医療上の必要性・脆弱性・地政学リスク・実現可能性を総合的に判断する必要がある。
鍵となるのはサプライチェーンの可視化である。現行の米国FDAやEUのシステムは断片的で、上流調達や依存構造を把握できていない。信頼できる情報を得るためには、共通データ基準や官民のインセンティブを調整する共有ガバナンスが不可欠である。
こうした可視性強化の重要性は、米国の医薬品供給網マッピング法(Mapping America’s Pharmaceutical Supply Act:MAPS法)やEUの重要医薬品法にも示されており、脆弱性の把握と資源配分の合理化が国家安全保障上の課題となっている。
(Science 誌にこうした論説が掲載されることが興味深い。日本でも脆弱性の把握が重要と思われるが、実際のところ、企業報告にとどまっている。)
ニュースソース
Giona Casiraghi(Department of Management, Technology, and Economics, ETH Zürich, Zürich, Switzerland), et al. : Supply-chain vulnerabilities in critical medicines: A persistent risk to pharmaceutical security.
Science 28 Aug 2025, Vol 389, Issue 6763, pp. 886-888 DOI: 10.1126/science.adx0871
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